諸々を置く場所です。
ブラックキプラにアカウントを乗っ取られていました。大変なご心配とご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。
— キプラ / KiPra (@M_KPra) August 9, 2025
この件については本当に申し訳ない。7月から立て続けに苦しいことが続いて、精神が限界でした。
これ以降もまだ快復していないようで、脳内に変なツイートがいっぱい出てくる。ここ数日、ポストするつもりで書いた文章の8割を下書き機能に幽閉している。本当に出したくないものもあれば、別に普段なら気にせず投稿してしまうだろうという程度のものもある。思うに、この神経質さは色々な面で裏目に出ている。
SNSを使うに際しての個人的なこだわりとして、私は、「マーケティング」をアカウント運用の中心に置かないようにしている。
ここでいう「マーケティング」というのは、自分のアカウントを、特定の属性や活動、ならびに読者目線の見心地の良さなどによってブランディングするという意味だ。たとえば、私のアカウントはケモノ着ぐるみをメインに運用しているが、過度のマーケティングをしないということは、積極的に着ぐるみばかりを打ち出していくような運用はしないということを意味する。
このこだわりには一応の理由があり、それは端的に、他人(と自分)から「ケモノの人」「着ぐるみの人」であることを期待されないようにするためだ。これはケモノに限った話ではない。特定の話題や界隈へのコミットによって自分の活動を特徴づけてしまうと、それは未来の自分の不自由につながる。
気軽に自由にツイートをしているのが一番いいはずだ。でも、今のアカウントの環境と私自信の幼さを勘案するに、それはなかなかできないと思う。
実のところ、私はタイムラインをあまり真面目に見ていない。見なくなった。
真面目にタイムラインを見ないのは、実体験も含めて、真面目に見ることを自分に課したばかりに苦しんでしまう人を数多く見てきたからだ。
他人のツイートを見てムカムカすることがある。しかし他人なのだからそういうものだ。引き起こされる感情が嫉妬であれ怒りであれ、気に入らないやつはいるし、ムカつくやつもいる。
問題は、今日のSNSが、気に入らないものに対してより多く目を向けるようユーザーを仕向けていることだ。「人気のある着ぐるみに嫉妬してつらい」と言っている人の「おすすめ」タイムラインが、人気の着ぐるみがキラキラしているツイートで溢れていることは想像に難くない。
私はそもそも嫉妬深く不寛容な人間なので、とても他者など見るに耐えない。フォローしている人や知り合いの中にすら、許せないほどムカつくポストをするやつが山ほどいる。しかしその許せなさは、自分がそれをなぜか真剣に見てしまうがゆえに生じるものであるし、またそうである以上、その情動に大した価値はない。
どうにも私はSNSには向いていない気がする。
今、別の記事を準備している。この記事よりは随分と落ち着いた書きぶりで、自我の出し方が適切だと感じる。こっちは自我しか出てないので、割とすぐに黒歴史になる気がする。まあ、大体は過去を振り返らないことで対応しているのだけど。(最初にやってた没ツイート集とか怖くて見れない)
疲れた人間にとって、SNSというのは修羅の道だ。SNSは、見るだけでも、書くだけでも、深く他人を相手にしなければならない。私がしたいポストの8割を封印している中でも、他人は平気で無神経なポストをしている。そういう世界だ。
安息地は自分で作る必要がある。自分が安心して書けると思える場所ならば、少し落ち着くことができる。文章表現はこのサイトに任せて、Xからは今よりもう少し距離を置こうかな。そんなことを考えている。