諸々を置く場所です。
10月〜11月に下書きとして書いたまま投稿しなかった没ツイートのまとめです。
とある数十人規模の式典に参加したら、私以外全員ヒトスーツで泣いちゃった。一生私服がいいよー。
最近買ったカメラとレンズのおかげで、人生ではじめてf値を使い分ける意義を真剣に考える機会ができた。「とりあえず絞り開放」という発想の限界に気が付きはじめた。レンズにもよるけど、f/2.8と4ですら仕上がりがガラッと変わる。
これ気のせいじゃないと思うんだけど、いいカメラを使うようになってから、自分の写真のアラが目について、改善点を色々考えられるようになった。私の写真に対する高いとは言えない解像度を、カメラとレンズの高い解像がカバーしてくれているということか。
以前どなたかが「単焦点レンズを使うと撮影技術が伸びる」と言っていたが、あながち間違ってないのかも。
高校生のとき、とある創作をしていてまだフォロワー20人くらいだった頃、同じ分野の創作をしている人からフォローされた。ウキウキで挨拶したんだけど、そのすぐ後にその人がブログで「関連人物をひたすらフォローして、フォロバされなかったら解除で優良アカウント作成!」とか言ってフォロワーの数を誇り始めた。
当時ブログを運用して広告収入で脱サラしようみたいなムーブメントが広まっていて、当時私のいた界隈にもそういう連中が集まり始めていた。しかし全員ではないにせよ、彼らの持っていた他人を他人とも思わない空気感は、有り体に言えば、非常に気分が悪かった。
ローストビーフってポン酢をかけて丼にする食べ方があまりにもうますぎるなあ。なんでだろう。米文化も醤油もない本場のイギリスでは何と一緒に食べてるのか想像もつかない。
いや、でもマッシュポテトとは合うな。
Xでまた嫌なものが流れてきたんだけど、帰りの電車内でその関連ツイートを読み漁って、自らお気持ちになることで不快という名の快感を得るというカスをしてしまい絶望したので、Xのスマホアプリを削除しました。さらば対戦型SNS。
Xって、書くことの危うさは色々言われているけど、実は読むことこそどんなやり方でも節操なくできてしまうので、ただ見なければそれで終わるはずの暗黒のお気持ちを、わざわざ見続けることで大切に、大切に育ててしまうんですよね。
最近、「ツイステのヴィル・シェーンハイトならこんなツイートをするかな」みたいなことをたびたび意識している。俳優として、自分の美しさを磨くことに余念がないキャラ。そういえば、化粧水を使うようになったのもヴィルの影響だった。
過去の下書きツイートをまとめてみて気づいたけど、昔よりも「〜と思う」「〜な気がする」みたいな語尾が減って、端的な書き方をすることが増えた。私の場合、これはいい傾向かな。
精神病院の受付で、恐らく患者の付き添いなのだろうけど、動画撮影をしているとおぼしき人を見かけた。これ、スタッフの方から注意してほしいなあ。
公人や就活生にはエチケット的に隙のないビシッとしたスーツ姿を求められるのは、明治の文明開化のような「西洋近代の脅迫的内面化」の文化的末裔なのかな、みたいなことをふと思った。
最近ちょっと積極的に自炊をしてるんだけど、鍋に使う食材のバリエーションを増やしたくなって、ふらりとスーパーを巡っていたら、ふとちくわが目に止まった。気づいてみれば珍しくもない材料だけど、実際に自分で鍋に使うことは考えたことなかった。
反生成AI、ケモノ界隈では著作権関連でクリエイターを中心に支持されていた印象だけど、今日友人のツイートを辿っていたら「反生成AIは美少女イラストの量産を潰したいツイフェミのキャンペーンだ」と噴き上がっている人もいるということを知った。世の中には私に見えてない “X” が存在するんだなあと思い、感心とも呆れとも取れるような感情がわいた。
「生成AI」というテーマひとつをとっても、意識の高い人達は「使わないと時代に取り残される」と叫び、ケモノ界隈は著作権の問題でざわつき、男女論の人達はいつもどおり男女論をやってる。ものを思考するための枠組みがタイムラインから提供されているわけだ。危うい。